「浜出(はまいで、歌謡「蓬莱山」) 後篇が九穴貝(くけつのかい)」

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 「浜出(全文版)」(前篇・歌謡「蓬莱山」) 1 鎌倉の名所  そも鎌倉と申すは、昔は、一足踏めば三町揺(ゆる)ぐかなりひどい沼地であったのを、和田義盛、畠山重忠が総指揮官を命じられ、石切りや鶴はしでもって丘陵の裾を切崩して低地を埋める整地作業を繰り返し行った。  地割では八幡前から南の海岸に向かい若宮大路には東西に交差する道が八筋数えられ駒留の上中下の下馬が…

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張良(ちょうりょう)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 張良、兵法を得るため観音に祈願  さる間、張良(漢王の四将(張良、樊噲はんかい、陳平、周勃)の一人)は天下を治めんそのために、じゅうぶうぜん(天竺の鷲峰山)へぞ参られける。かの御寺の御本尊は十一面観世音。  かの御寺に参り夜も三十三巻昼も三十三巻の観音経を読む。三十三度の礼拝をまいらせ、大慈大悲(広大無辺な仏の慈悲)の願なれば、軍にたやすく勝つという。 …

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築島(つきしま)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 《内容概略》 1 福原の新京  そもそも中昔の事。平家の大将は安芸守清盛と申し御出家されて戒名を浄海と申される。ある時一門連座の座敷にて申す。  人の世に生まれたからには大願を起こし、国を改め荒野を変貌させ名所となし、民が平穏に暮らせる政治を行ったと末代にまで伝えることである。  国の行政官の任務を独断で気ままに執り行うと言っても、平安京を造営して繁栄させ…

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新曲(要約版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 《内容概略》 1 一の宮の思い  つらつらおもんみるに(つくづく思いめぐらしてみれば)、古より今に至るまで朝敵を一時に滅ぼし、太平を四海にいたす事(天下を安泰に保つ方策は)武略の功に及(し)くはなし。  後醍醐帝の一の宮である尊良(たかなが)親王は、才能も容姿も優れていたが、幕府の意向で望みが絶たれ不遇の人であった。  あるとき、一の宮は、関白家での絵合わ…

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四国落(要約版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 《内容概要》 1 義経都落ち  さるほどに、判官、内裏を退出し、六条堀川の館に戻り、武蔵を召してお仰せる。「帝の宣旨を給わって義経、都に在らんこと違勅の臣と存ずる、旅の支度をせよ」  弁慶承り、主だった人々二百余騎を選んだ。義経の妻妾である河内重頼の娘、平時忠の娘、白拍子の静ら十二人の奥方も御伴を望んだ。  義経はこの状況を御覧じて、いかなる事ぞ既に鎌倉の…

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笛の巻(全文版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 牛若、母の贈り物の笛を習う  さる間、牛若殿、鞍馬の寺(の僧房の一つ)東光坊にて学問究め給ふ。筆をとっての筆法(筆の運び方)に、魚鱗、虎爪(こそう)、水露の点、孔子(くじ)、老子の筆の跡、文書(書状を書く際の文体について説いた書物)の数を残さず習ひぞ究め給ひける。  (「筆法之得伝」と号される手本に漢朝王羲の懸針、 垂露、 返鵲、 廻鸞、 魚鱗、 虎爪の6…

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腰越(全文版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 源義経、鎌倉下向  さる程に判官、おごる平家を三年(とせ)三月に攻め靡(なび)け、三種の神器、事故なく無事に二たび帝都に納め申し、あまつさえ平家の大将大臣殿(平清盛没後の棟梁の内大臣平宗盛)父子(子は、平宗盛の嫡男、右衛門督平清宗)生捕って天下の御目にかけ奉る。  かの源義経を見聞く人、あっぱれ弓矢の大将かなと誉めぬ人こそなかりけれ。  ある時、源義経、…

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那須与一(全文版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 扇の射手となった那須与一  那須与一宗高は、大将(源義経)の御前に弓取直し畏(かしこ)まる。判官(源義経)御覧じて、ただ今御辺(おへん、貴方)を召す事、別の儀にあらず、沖の平家方よりも作り物(弓の稽古用に作られる標的)を出して有り、御辺は弓の上手と聞く、一矢射よとの御諚(御言葉)なり、(那須)与一(宗高)謹んで畏まる(辞退する)。  (源氏の)大将(源義経…

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未来記(全文版)

鞍馬寺の天狗が源義経の未来を予測してみせる! 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 天狗の兵法  さる間、牛若殿、鞍馬の奥の僧正が崖(木船神社との間の谷間)という処へ夜な夜な通い給いける。  天下を治めんがために鞍馬寺に入った牛若丸は、兵法稽古の修行に励んでいた。  そもそも兵法と申すは、三略(黄石公が張良に伝えた兵法)の七書(中国の七部の兵法書)である。  昔、大唐にある商山のそうけい…

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文学(もんがく要約版)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】 《内容概略》 1 文学の勧進  ここに源氏が御代に出でさせ給ひたる由来を詳しく尋ねるに、元は津(摂津)の国渡辺(大阪市中央区、先祖は渡辺綱)源氏の大将に遠藤武者遠房がその子に遠藤滝口盛遠という者がいたが、出家して 文学(文覚)と名乗った。   文学(文覚)は、前代未聞の荒行をこなし真言密教に心をかけ、極暑の中を笠も着ず、厳冬の寒い夜に衾の数も増やさず、大峰山…

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剣讃歎(つるぎさんだん全文版)(曽我物語⑤)

源氏伝来の宝刀「膝丸(薄緑・蜘蛛切)と髭切(鬼切)」に関連する曽我兄弟の仇討前に箱根権現別当へ挨拶に行った時の話である! 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 別当のはなむけの太刀  さる間、曽我兄弟(兄十郎祐成と弟五郎時宗)の人々、(親の仇、源頼朝の家来工藤祐経を狙う為、頼朝主催の富士野の狩の場に向かう途中)駒(馬)を早めて打つほどに、箱根の別当(寺務を統括する僧官、箱根権現十九世の行実)の…

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