《内容概略》
1 景時の謀略
さる間、判官明ければ参内申されたり。御門叡覧ましまして宣旨を罷り蒙って堀川殿に移らせ給ふ。
頼朝の不興を買った義経は都へと戻ると、帝から西国に所領を与えられ六条堀川の屋敷に住んだ。
しかしこれを知った梶原景時は、義経が西国を我が物として反乱を企てていると頼朝に報告する。すぐに頼朝は義経に対して討手を差し向けるよう命じ、景時は土佐坊正尊を討手に抜擢して都へと遣わした。
2 刺客正尊の上洛
正尊は五条油小路に宿を取ると、女を使って義経の屋敷の様子を見に行かせた。警戒が手薄であるとわかったのですぐにでも攻め入る準備をする。
その頃、義経の野党の伊勢三郎義盛は清水詣に出掛けていたが、その途上、東国の武士たちが鴨川で馬を水浴びさせているのを見つける。
それが鎌倉風の馬であったので義盛は思わず舎人に声をかけるが、舎人は馬について聞かれると「土佐坊正尊がとある人物の屋敷に攻め入るために旅で傷ついた馬の足を冷やしているのだ」と口を滑らせた。
この場面での二人の問答会話に見てみると
義盛が、私は馬の商い病をみる身であるからお宿はどちらかと尋ねると、舎人は、五条油の小路にて土佐殿のお宿と尋ねてきなさいという。
義盛が、
「土佐殿と申すは、法師の御名候か、俗の御名にてましますか」
舎人が聞いてうち笑ひ
「今日この頃、関東に鎌倉殿の御内なる、いほう(曽我物語には「伊保坊」)、きほう、土佐坊とて、三人の法師武者有りとは、国に隠れもなし。知らぬは異国人かな」
と、からからと笑って答えた。
義盛はこれによって、義経が狙われていることに感付き急いで堀川へと戻った。
3 義盛だまされる
義盛から正尊について聞かされた義経は、すぐに正尊を連れてくるように命じる。
そこで義盛は、正尊を油小路に訪ねて行くが、正尊は頼朝の代理として熊野に向かう途中であると説明し、さらには義盛に酒を飲ませ鞍具足などの引き出物を与えた。
気分を良くした義盛は正尊にすっかり騙され堀川に戻ると、義経に対して心配ないと報告してしまうのである。
しかし義経はそれが正尊の策略であると気付き義盛を叱る。
面目を失った義盛は引き出物の馬を切り殺して正尊を必ず討ち取ってみせると激怒した。
4 弁慶、正尊を連行
そこで今度は武蔵坊弁慶が油小路の正尊のもとへと向かった。
義盛をうまく騙して油断していた正尊はちょうど酒宴の最中であったが、弁慶がここに乱入すると、力ずくで正尊を馬に乗せて堀川へと連れて行った。
義経に対面した正尊は、再び自分は熊野に行く途中であると説明し、討手ではないことを誓いその証として起請文をしたためたのである。
これを見た義経は、神慮に任せようと考えて正尊を屋敷へ帰した。
5 夜討ちを受けた堀川殿
その晩義経は酒宴を催して深く寝入ってしまった。しかし、ここに正尊が夜討ちを仕掛けてきた。
これに気付いたのは静御前で、機転を利かせた静は具足の音を鳴らして義経を起こす。素早く義経に鎧を着せると自らも長刀を取って外へと出て、攻め寄せた敵に対して義経と静は奮戦する。
さらに義盛と弁慶も駆けつけて奮戦。義経の不興をかっていた義盛は敵の首二つを上げて許される。
6 正尊の最期
弁慶は鬼神の如き活躍を見せ敵は次々と逃げ去って行った。落ち延びようとする正尊は、義盛と弁慶に捕えられるが、物怖じもせず頼朝への忠義を示したので、義経はその命を惜しんだが結局六条河原での処刑を命じた。
かの正尊を見し人、貴賤上下おしなべ感ぜぬ人はなかりけり。