夜討曾我(曽我物語⑥)

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《内容概略》夜討曽我⑥
1 曽我兄弟、祐経を狙う
 さる程に、頼朝信濃の国三原野の御狩過ぎに御出と聞こえける。
 この度、富士野の牧狩に東八か国の大名小名の諸候が集い獲物を競う中、曾我兄弟は仇の工藤祐経を狙っていた。
 兄弟は、狩場でたまたま一人になった工藤祐経を発見し矢で射抜こうとするが、曾我十郎祐成の乗っていた馬が伏木につまずいて転倒してしまう。
 曾我五郎時宗が慌てて落馬した十郎祐成に駆け寄った時にはすでに工藤祐経の姿はなかった。
 富士野の狩は本日で終わり明日には全員が鎌倉に帰ってしまう。この好機を逃し仇討ちに失敗した兄弟はここで自害を決意する。

2 畠山と和田の支援
 しかし、その様子を見ていた畠山重忠と和田義盛は兄弟に深く同情し連歌を詠みかけて励ます。
  畠山重忠が連歌の発句した
「夏山や思い繁みのこがるるは」
 (二人の仇討ちの思いがしきりで焦がれるように夏山の繁みもやけているのは)続いて、
 和田義盛が付け加えて詠う。
 「今夜富士野に飛ぶ火燃え出づ」
 (今夜この富士野に燃え出ずる烽(のろし)火であった)と詠えば、仇討に失敗した我らへの夜討ちを進める歌と解いて、我らも連ね歌申さんと
 十郎祐成が
 「上もなき恋の煙の現れて」
 (この上もなく熱い恋心(夜討ちを乞いと掛)に焦れたかのように煙が立ち上る)続けて、
五郎時宗が
 「天の岩戸を明て問へ君」
 (天照大神の籠った岩戸を開けた時のように夜が明けたら菩提を弔って下さい)と今宵討死する覚悟を付けて詠んだ。
 畠山重忠と和田義盛は、更には貧しく馬の飼料でさえ満足に手に入らない兄弟に対し、様々な御馳走を差し入れした。

3 家々の幕紋を見る
 翌日十郎祐成は工藤祐経の屋形の様子を窺う為に出かける。十郎祐成は様々な館の様子を見て掲げられた家々の幕紋を見て回る(幸若太夫が幕紋の名前を次から次へと列挙していく曲のおもしろさを狙った趣向の場面)。
 まず一番に釘抜松皮木村濃、この木村濃は三浦の平六兵衛義村の紋なり。石畳は信濃の国の住人根井の大夫弥太。扇は浅利の与一。舞たる鶴は庵原左衛門。庵の中に二つ頭の舞たるは駿河の国の住人、天智天皇の末孫、竹の下の孫八左衛門。伊多良貝は岩長党。網の手は須賀井党。追州流しは安田の三郎。月に星は千葉殿。傘は那古屋殿。団扇の紋は小玉党。裾黒に鱗形は北条殿の紋なり。繋ぎ馬、相馬。折烏帽子、立烏帽子。大一大万、大吉。白一文字、黒一文字は山の内の紋なり。十文字は島津の紋。車は浜の竜王の末孫、佐藤の紋。竹笠は高橋党。亀甲。輪違。花靫。三本傘。雪折竹。二つ瓶子、河越。三つ瓶子は宇佐美の左衛門。二つ頭の右巴は小山の判官。三つ頭の左巴は宇都宮の弥三郎朝綱。鏑矢、伊勢の宮方。水色は土岐殿。四つ目結は佐々木殿。中白は三浦の紋。秩父殿は小紋村紺。割菱は武田の太郎。梶原は矢筈の紋。真白、御所の御紋であり。
「ここに庵の中に木瓜(工藤祐経の紋)、ありありと打たるは我らが家の紋ぞ」と思召、今一人なつかしくて十郎祐成殿が立ち止まった。

4 祐経、十郎を屋形に招く
 工藤祐経の屋形の前で、十郎祐成は工藤祐経の嫡子である犬吠に見つかってしまう。
 これを聞いた工藤祐経は勘違いして、何か事情があってやってきたのであろうと渋々ながらも十郎祐成を屋形に招き入れる。
 工藤祐経は十郎祐成と対面すると、曾我兄弟の父であった河津三郎の死の原因について語り始める。
 石橋山の合戦の折真田与一と岩を投げ合って力比べをした俣野五郎という武士がいた。石投げでは真田に敗れた俣野であったが、続いて人々と相撲で勝負を始めると人々はことごとく打ち負かされてしまった。そして最後にこの俣野に勝負を挑だのが、曽我兄弟の父の河津三郎であった。
 河津三郎は見事に俣野を投げ飛ばすが、勝負結果に納得のいかない俣野や兄の大庭が物言いをつけてきた。
 人々がひしめき合って殺し合いになりそうになったところで、頼朝が厳しく注意したためその場は収まったが、この遺恨がきっかけとなって、河津三郎は、俣野かその兄の大庭に討たれてしまったというのである。
 工藤祐経の自分は無関係であるという物言いや、家人に抱えてやろうという勝手な言葉に、十郎は黙って耐えていた。

5 忠実な郎党との別れ
 そして自分の屋形に帰ると、工藤祐経の屋形の警備の様子を詳しく五郎時宗に教え、この晩討ち入ることを決意した曾我兄弟は、故郷の人々に宛てて遺書をしたためた。そしてそれぞれが召抱えていた忠実な野党である鬼王丸・道三郎の二人に、この遺書と形見の品々と馬を与えて故郷に届けるように命じた。
 二人は仇討ちに加えてもらえないことに嘆き自害しようとするが、曾我兄弟はこれを制止して故郷に送り出した。

6 祐経、寝所を変える
 夜更け、曾我兄弟は工藤祐経の屋形に討ち入るが、すでに危険を察知していた工藤祐経は新しい寝所へと移っていた。
 曾我兄弟は途方に暮れるところへ畠山重忠の後見である本田親経というものが現れ工藤祐経の新しい寝所を教え案内する。実は畠山重忠・和田義盛・北条時政らがひそかに仇討ちが成功するよう手配していたのである。

7 首尾よく宿敵を討つ
 寝所には鍵が掛けられていたが、屋形内の遊女の手引きによって侵入することに成功する。この遊女とは実は大磯の虎御前(十郎祐成の恋人)の妹であった。
 兄弟は寝入っている工藤祐経に襲撃をかける。
 工藤祐経も太刀を取って応戦するものの、とうとう曾我兄弟に討たれてしまったのである。
 非業の死にをしたり工藤が最後をば、貴賤上下をし並べ憎まぬ者はなかりけり。この続きは曽我物語⑦「十番切」で

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「幸若舞(年表)と徳川家康・織田信長」

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