日本記(にほんぎ全文版)

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日本開闢神話を語る祝儀物である。幸若舞曲の曲名は「日本記」と記すことが多く「大日本記」とするものもある!
1 天地の始まりと神々出現の次第
 そもそも日本開闢(びゃく)の砌(みぎん)(我が国の明け始めのおり)、伊弉諾(いざなき)、伊弉冉(いざなみ)、二人の尊(みこと) 、語らいをなし、ともに分かちて宣(のたま)はく、既に天開くるうへ、定めて下に国あるべし。

2 国を開くため鉾を下ろすが何も当たらない
 八十島(やそじま、数多くの島々)を求めんとて、雲の上よりも御鉾(みほこ)をさし下ろし、一大海の面(おもて)を、かき探り給へども、鉾に当たる島もなし。
 さればにや(それゆえに)すなわち、その空劫(四劫の第四の「くうごう」、新たに世界への生成が始まるまでの長い空無の期間)の已前(以前)には、天地開け始めず。

3 御子が出現し体の各部分から世界が生じる
 今、住劫 (四劫の第二の世界「じゅうこう」に生物が安穏に住む期間)の時をえ、尊(みこと)出現の身を分け、頭を須弥(須弥山)と名付、眼を日月のごとし、出入息を風とし、四つの枝を四州とす、骨は金(かね)、涙は水、肉叢(ししむら、肉体)を土となし、髪ひげを木草とし。

4 五行説を列挙
 (五色、五方)青きを東、赤きを南、白きを西、黒きを北と名付け、黄なる色を中央とするなり。
 (五行、五味)中を土につかさどって、甘き味いて来る。
 北には黒き水ありて、鹹(しおから)き味をなすとかや。
 西には白き金ありて辛き味をなせり。
 南に赤き火を生じて苦き味をなせり。
 東に青き木を生じて酸(すき)味をなせり。
 (五仏、五調)酸(すき)味をば薬師とし、双調( 雅楽の六調子の一つのそうじょう)の聲を説法す。
 苦きを以て、黄鍾(日本音楽の音名。十二律の八番目の音のおうしき)の寶勝如来(五如来の内、南に位置する宝の誘惑に惑わされず勝った如来)是なり。
 辛き味を阿弥陀とし、平調(雅楽の六調子の一のひょうじょう)の聲を出だすなり。
 鹹(しおからい)を(雅楽での盤渉の音を主音とする旋法)盤渉調(ばんしきちょう)、釈迦の音聲是なり。
 甘き味をは大日の壱越調( 雅楽の六調子の一つのいちこつちょう)の響あり。
 (音楽で使われる五つの五音の)宮(きゅう)、商(しょう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う)。
 五韻(五味)は、酸、苦、甘、辛、鹹(しおから)く。
 (牛乳を精製して順次に生ずる五つの味の)乳(にゅう)味、酪(らく)味、生酥(しょうそ)味、熟蘇(じゆくぞ)味、醍醐(だいご)味。
 五つの音を集めつつ、
 (釈尊一代の化導を説法の順序に従っての五期に分類した「五時教」の)華厳(けごん)、阿含(あごん)、方等(ほうどう)、般若(はんにゃ)法華涅槃(ほっけねはん)と是を申すなり(全てが整った)。

5 全て三宝に収まり一心三観皆空にして隔てなし
 仏も経も真言(これを三宝という)も、此中よりも作り出す。
 地獄極楽押しなべて、仏も法も僧寶(出家者)も、一體必ず三寶
 (仏法僧の三宝は元来一体なのでどれか一つに帰依すれば、全てを帰依したのと同じになる)。
 三寶やがて三観(この世は全て本質的には空である空観、空であるが世俗的な相対的立場からは存在するとして肯定的にとらえられる仮観、あらゆる事物は固定の本質をもっておらず、現象としてあるがままに存在していることを観じずることの中観)。
 三観(空観、仮観、中観)一義(一番大切な意味を持っている)直(じき)に一心、
 (一切の存在には実体がないと観想する空観、それらは仮に現象していると観想する仮観、この二つも一つであると観想する中観を、同時に体得すること)。
 一心(あらゆる現象の根源にある心)やがて空にして、隔ても更になき物を、いかなる迷い不思議にか、是ほど広き大海に一つの島のなかるらん(の事は不思議である)。

6 天地和合の理を説き再び鉾を下ろし淡路島を得る
 いざなぎの尊、御鉾(みほこ)を上げさせ給ふ。
 いざなみ御覧あって、何しに其の御鉾(みほこ)を上げさせ給ふぞ。
 天の陽をかたどり、地の陰ぜいの上がりてこそ、陰陽とも開くべけれ。
 この理に迷ひ、いたづらに御鉾を上げさせ給ふか。
 ただ念比(ねんごろ)に探し給へと仰せければ、かさねて御鉾をさし下ろさんとし給ふ。その鉾の滴(したた)りが、遥かの海に留まって一つの島となりぬ。
 いざなぎ御覧あって「あは、地よ(淡路)」よと仰せられし、その御詞(ことば)をかたどり、今の淡路島是なり。

7 大日の梵字に生じた国のゆえに大日本国という
 さてその御鉾の滴りは、何と言へる仔細によって、固まりけると尋ぬるに、かの大海の面にて、大日の梵字の浮んで、波に揺られて漂へる。
 いんぢの其の上に、鉾(ほこ)の露の留まりて、塊土(かたまりつち)と成にけり。大日の梵字の其の上に、出来初(はじめ)し国なれば、(我が国を)大日本国とは申すなり。
 日本国の淡路島、けしの勢に出来て、天竺も開けり。
 さて大唐も始まれり。さしもひろき天竺国、月をかたどる国なれば、月似国(げつじこく)とは申すなり。
 唐土(とうど)も広しと申せども、晨旦国(しんだんこく)と名付けつつ、星をかたどる国にてあり。
 日本我朝は、小国なりとは申せども、日域(じちいき)と名付けつつ、日をかたどれる国にて。三国一の吾(わが)朝に、心のままの寿命にて永く栄ふる目出度さよ。

《参考》
 日本開闢神話を語る祝儀物である。幸若舞曲の曲名は「日本記」と記すことが多く、「大日本記」とするものもある。
 幸若丸が後花園院の前で語ったという伝えがある。(「幸若舞曲 御伽草子」久保田淳解説)。文安五年(1448)3月8日に桃井直詮が、後花園天皇(1428-1464)に召され参内し幸若舞「日本記」を奏して末代までの諸太夫の称号格式と鼓大小、桐菊の紋を授かり(幸若由緒書)。
 天地の始まりと神々出現の次第。日本国の始まりを語る。伊弉諾(いざなき)・伊弉冉(いざなみ)二尊が日本国を開くために大海の面に鉾(ほこ)を下ろして探るが何も当たらない。体の各部分から世界が生じ,やがて、五行説を列挙して,すべて三宝に収まり,一心三観みな空にして隔てなしと,天地和合の理を説いて再び鉾を下ろし,淡路島を得る。鉾の滴(したた)りが大海を漂う大日の梵字の上に止まって生じた国のゆえに大日本国という。

「幸若舞の歴史」


「越前幸若舞(年表)」

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桃井直常(太平記の武将)1307-1367