大和五カ所十座(声聞師)

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大和五カ所十座(声聞師)

◎  大和興福寺の五カ所十座の声聞師などは、猿楽、あるときは白拍子、あるき巫女、鉢たたきなど、七道物と称される雑芸者の支配権を持っていた。(「曲舞と幸若舞」麻原美子)

◎  武家の支配する京と違い、当時奈良は、興福寺によって支配されており芸能についても、興福寺寺門あるいは大乗院門跡と結びついた五カ所十座と称される声聞師組織の権限の強い土地柄であった。
 京の若太夫の奈良進出は、畿内の声聞師の組織を通じて初めて可能になっていた。
 長享二年(1488)当時奈良において勧進猿楽が採用されることは稀で、大和猿楽四座(結崎観世座・円満井金春座・外山宝生座・坂戸金剛座)系の太夫の勧進興行に至っては皆無の状況にあった。
 こうした背景の中現在知られている限り幸若太夫の奈良進出は唯一の事例である。
 幸若太夫の勧進興行の八月四日、五日条に、興福寺寺門組織の中枢をなす三輩、学侶・六万・衆中の責任において禄物が下行それた由がみえることから、寺門組織を挙げての主催であった事がわかる。(「曲舞と幸若大夫」川崎剛志)


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