本能寺 2019年12月24日 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 (これは幸若大夫に秀吉が命令し作らせた新作である) 1 信長、安土城を構える さても右大将信長公、上洛ましましてより諸臣(天下)に棟梁(として)し帝道に塩梅たり(政務を適切に処理)し事年久し、其のここ江州安土山に城郭を構え東西の甍、南北の台(うてな) 金殿紫閣は天上の雲に連なり玉楼粉墻(飾りのついた垣根)は湖水の波に輝く。 其の地の美麗はたとえて言うに足…続きを読む
蓬莱山 2019年12月20日 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 去る間、源頼朝上洛(1195年)ましまして、(南都奈良大仏殿修復)大仏供養を遂げさせ給い、御身は左近の右大将(右近衛府の長官)に昇進なされ給い、兵衛の司十人、左衛門府の司十人、計二十人の官職を下賜され、その頃、忠の人々に充て下し度にけり。 中でも梶原景時は、給わった左衛門司の官職を、嫡子の梶原源太景季に譲られ、急いで国に下り、この事を披露すべく大名小名を招待…続きを読む
十番切(全文版)曽我物語⑦ 2018年10月19日 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 五郎時宗、工藤祐経に止めを刺す 建久四(1193)年五月二十八日の夜半ばかりの事なるに、曽我兄弟の人々は、親の仇(工藤)祐経を思いのままに討ちおふせ(今、仇討し積年の恨みを晴らすことができ)、小柴(低く細い雑木)の陰へざっと引き(隠れ)しばらく息をつぐ(息をひそめていた)。 (兄)祐成が仰せけるようは、本望をば遂げつ(たので)、いざや、ここにて腹切らん…続きを読む