加賀百万石前田利常と幸若舞

【幸若舞曲一覧(リンク先)】  徳川家康(徳川幕府)に仕えた幸若太夫は、一番の幸若弥次郎、弐番の幸若八郎九郎、三番の幸若小八郎が、一番二番三番代わる代わる交代で江戸城での任務に就いている。それぞれの幸若太夫が大抵寅卯辰の年代わりの4月に越前から江戸に行き翌年の5月に越前に帰国している。  越前の幸若太夫家の一族には多い時には10数家の幸若太夫家があり、徳川幕府以外の地方の大名家でも幸若舞が行…

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戦国大名たちと舞太夫

「幸若舞の歴史」【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 幸若舞は、悪星を踏み破って吉を呼び込む舞であると思われる。  舞の中で足を踏み鳴らす行為は陰陽道の道教思想の呪術行為である返閇と言われるもので。大地を踏みしめ地霊を鎮め邪霊を退散させ祓い祝う舞であることから、幸若太夫家は時代時代の権力者に求められ仕えてきたのである。 2 徳川幕府に仕えた幸若三家以外にも江戸時代初頭には多くの大名たち…

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幸若舞(年表)

【幸若舞曲一覧(リンク先)】「幸若舞の歴史へリンク」 1 初代幸若太夫の祖父さんは太平記の武将桃井直常 《ブリタニカ国際大百科事典の解説》 桃井幸若丸とは、幸若舞の始祖と伝えられる桃井直詮の幼名。系譜によると,南北朝時代の北陸の武将桃井直常(1307-1367)の孫で,父の死後,親族である叡山光林房の詮信のもとに預けられ,修行中草紙類に節をつけて歌ったのが幸若舞の始りといい,幸若舞の名…

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