白山信仰と幸若舞 2019年10月21日 【幸若舞曲一覧(リンク先)】・ 【幸若舞完成と白山平泉寺(リンク先)】・「幸若舞の歴史(年表)へリンク」 ここで織田信長と幸若舞・幸若舞完成時の歴史が見れます! 1 始めに 織田信長が愛好した幸若舞「人間五十年下天の内に比べれば夢幻の如くなり一度生を得て滅せぬ者の有るべきか」これは、福井県の越前町に居住した桃井(もものい)幸若太夫によって舞われた幸若舞「敦盛」の一節である。 幸若舞…続きを読む
幸若舞と徳川家康 2018年02月26日 「幸若舞の歴史」 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 1 はじめに 前回は、「人間五十年」という題名で織田信長出陣の舞は幸若舞であるという話を書かせていただきました。 2 徳川家康と幸若舞 今回は、徳川家康を中心に見た幸若舞について紹介します。 《徳川家の歴史記録の中で、幸若舞の太夫の事が初めて出てくるのは…》 ○ 1560年桶狭間の戦の後、岡崎城の徳川家康(19歳)は織田信…続きを読む
「三条殿での幸若舞」の時の出来事 2017年12月27日 【幸若舞曲一覧(リンク先)】 室町時代の公卿三条実量 (さねかず1415-1484)は、赤松氏の遺臣による主家再興の動きにかかわり,吉野の旧南朝方にある神璽 (しんじ)をうばって朝廷に献納するようにすすめ実現させた。 この頃、赤松次郎(政則)家の家中に石見太郎左衛門という者がいた。この者がまず三条内府(実量)の元に奉公に出た。宮仕えの労を尽くしたので内府の御意もよかった。 時々、赤松…続きを読む